第1話「つながりを探して」
美咲は、また今日もパソコンの画面を見つめていた。
リビングのテーブルに置かれたノートパソコンから聞こえるのは、オンライン会議の機械的な音声ばかり。「お疲れ様でした」の挨拶と共に画面が消えると、部屋には静寂が戻る。時計を見ると午後6時。今日も一日、誰とも直接会話することなく終わった。
「また明日も同じ日が続くのかな」
そんなことを考えながら、何気なくスマートフォンを手に取った美咲。SNSを眺めていると、一つの投稿が目に留まった。
『西谷の田んぼで稲刈り体験!みんなで汗を流して、美味しいお昼ご飯を食べませんか?』
写真には、青空の下で笑顔を見せる人たちが写っている。都会の喧騒から離れた、のどかな風景。そこにいる人たちの表情は、オンライン会議で見慣れた無表情とは正反対の、生き生きとした輝きに満ちていた。
「西谷って、どこだろう」
調べてみると、宝塚市北部の自然豊かな地域だった。大阪から電車で30分ほどで行けるらしい。
翌日の土曜日、美咲は久しぶりに電車に乗った。平日のリモートワークでは味わえない、人の温もりを感じながら。
武田尾駅のホームに降り立つと、そこには都市部とはまったく違う空気が流れていた。山に囲まれた静寂の中、遠くから聞こえる川のせせらぎの音。
「あの、稲刈り体験の会場はどちらでしょうか」
駅前で出会った地元の方に尋ねると、「ああ、バスで15分ほどの田んぼだよ。バスは1時間に1本しかないから、時間に気をつけてね」と温かく教えてくれた。
バスに揺られながら山間部を抜けると、美しい田園風景が広がった。会場に着くと、既に多くの人が稲刈りに取り組んでいた。初めて手にする鎌に戸惑っていると、「初めてですか?」と声をかけてくれたのが陽太だった。
「僕も今日が初参加なんです。一緒に教わりましょうか」
陽太の爽やかな笑顔に、美咲の緊張も少しほぐれた。
「私、西美咲です。美咲って呼んでください」 「僕は谷陽太です。陽太でお願いします」
二人の名前を聞いた地元のおじさんが、「西さんと谷くん!まるで西谷のためにやってきたみたいじゃないか」と笑った。その場にいた人たちも一緒に笑い、自然と輪ができた。
稲刈りは想像以上に大変だったが、不思議と疲れを感じなかった。むしろ、土の匂い、稲穂の手触り、そして周りの人たちとの何気ない会話が、美咲の心を満たしていく。
「普段は何をされているんですか?」陽太が尋ねた。 「IT企業でシステム開発をしています。でも最近はずっとリモートワークで…」 「僕もです。人事関係の仕事をしているんですが、画面越しの付き合いばかりで、なんだか人との繋がりが希薄になってしまって」
二人は顔を見合わせて、苦笑いした。同じような想いを抱えていることが分かって、なんだか嬉しかった。
お昼の時間になると、地元の方々が作ってくれた手作りのお弁当が配られた。新米のおにぎり、地元野菜の煮物、手作りの漬物。どれも都市部では味わえない、温かい手作りの味がした。
「美味しいですね」美咲がつぶやくと、隣に座った地元のおばさんが「ありがとう。みんなで食べると、より美味しく感じるでしょう?」と微笑んだ。
その言葉に、美咲はハッとした。確かに、一人でコンビニ弁当を食べていた平日の昼食とは、全然違う満足感があった。
午後の作業を終えた後、参加者たちは自然と輪になって座った。夕日が棚田を金色に染める中で、今日一日の感想を話し合った。
「久しぶりに、心から楽しいと思える一日でした」美咲が言うと、陽太も「僕もです。なんというか、人と人とのつながりって、こういうことだったんだなって」と頷いた。
地元で活動をコーディネートしている岡本さんが言った。 「西谷には、人と人をつなぐ不思議な力があるんです。ここに来る人たちは、みんな何かを探している。そして、きっと何かを見つけて帰っていく」
帰りのバスを待つ間、美咲と陽太は連絡先を交換した。 「また来月もイベントがあるみたいですね」陽太が言った。 「私も参加してみたいです」美咲が答えると、「一緒に参加しませんか?」と陽太が提案した。
バスに揺られながら、美咲は今日一日を振り返った。朝、家を出るときは「人との繋がりが欲しい」という漠然とした想いだった。でも今は、その想いが確信に変わっていた。
西谷には、確かに人と人をつなぐ何かがある。そして、それは自分が探していたものかもしれない。
スマートフォンに保存された陽太の連絡先を見ながら、美咲は微笑んだ。明日からの平日も、少し違って見えそうだった。