第2話「種をまく人たち」
前回の稲刈りから一ヶ月が過ぎた。美咲と陽太は約束通り、今度は西谷の野菜作り体験に参加していた。
「今日は大根の種まきをします」
地元で農業を営む吉田さんが、参加者たちに説明してくれる。美咲は、吉田さんの日焼けした手と、土にまみれた爪を見つめていた。パソコンのキーボードを叩く自分の指とは、まったく違う手だった。
「種をまくって、なんだか希望を込める作業みたいですね」陽太がつぶやいた。
「そうですね。芽が出るかどうか分からないけれど、信じて土に託すというか」美咲も同感だった。
二人は隣り合った畝で作業をしていた。小さな種を等間隔に置いていく作業は、思いのほか集中力を要した。
「美咲さんは、普段の仕事でも何かを『育てる』ことってありますか?」
「システムを作ることも、ある意味では育てることかもしれません。でも、これとは全然違いますね」
美咲は手を止めて、陽太を見た。
「陽太さんはどうですか?人事のお仕事でも、人を育てることがあるでしょう?」
「ありますが、最近は数字ばかり追いかけて、人を見ていなかったかもしれません」
そんな会話をしながら作業を続けていると、隣で作業をしていた松本さんという方が声をかけてくれた。
「お二人は付き合ってるんですか?」
突然の質問に、美咲と陽太は顔を赤らめた。
「あ、いえ、そういうわけでは…」美咲が慌てて答えると、佐藤さんは笑った。
「ごめんなさい。でも、息がぴったり合ってるから、てっきり」
「息が合ってる…ですか?」陽太が首をかしげた。
「ええ。種をまく間隔も、話すタイミングも。まるで長年一緒にいるみたい」
その言葉に、美咲は自分でも気づいていなかった何かを感じた。確かに、陽太と一緒にいると、妙な安心感があった。
昼食の時間になった。今日も地元の方々が手作りのお弁当を用意してくれていた。野菜たっぷりの味噌汁と、炊きたてのご飯、そして季節の野菜を使った煮物。
「このお味噌汁の人参、甘くて美味しいですね」美咲が言うと、吉田さんが「実はそれ、春にここで種をまいた人参なんですよ」と教えてくれた。
「今日みなさんがまいた大根の種も、この冬にはこうやって誰かの食卓に上るかもしれません」
その言葉に、美咲は不思議な感動を覚えた。今日まいた小さな種が、いつか誰かの笑顔につながるかもしれない。都市部の生活では、自分の行動の結果が見えることは少ない。でも、ここでは確実に未来につながっている。
「素敵ですね」陽太がつぶやいた。「自分たちの今日の行動が、確実に未来の誰かの役に立つって」
午後の作業は、今度は既にできている野菜の収穫だった。土の中から現れる大きな人参に、参加者たちから歓声が上がった。
「うわあ、すごい!こんなに大きい人参、初めて見ました」
「重い!」
「形も面白い!」
収穫した野菜を手に、みんなの表情は子どものように輝いていた。美咲も、泥だらけの人参を手に、思わず笑顔になった。
「普段、野菜を買うときは形の整ったものばかり選んでしまいますが、これも十分美味しそうですね」
「むしろ、この方が生命力を感じて好きです」陽太が答えた。
作業の最後に、参加者全員で今日の収穫物を分け合った。一人一人が、人参、玉ねぎ、キャベツなどを持ち帰ることになった。
「今日まいた種の収穫は、3ヶ月後です。また来てくださいね」吉田さんが言った。
帰り道、二人は重い野菜の袋を抱えながら歩いていた。
「今日も楽しかったですね」美咲が言った。
「ええ。なんというか、『つながり』を実感しました」
「つながり?」
「過去と現在と未来のつながり。そして、人と人とのつながり」
陽太の言葉に、美咲は深く頷いた。確かに、今日は様々なつながりを感じた一日だった。
バス停で別れる前に、陽太が言った。
「美咲さん、今度は平日にも西谷に来てみませんか?田中さんが、平日も色々な活動をしているって言っていました」
「平日ですか?」
「リモートワークなら、場所を変えてもできますよね。僕も最近、上司に相談してみようと思っているんです」
その提案に、美咲は目を輝かせた。確かに、パソコンがあれば西谷でも仕事はできる。そして、仕事の合間に土に触れることができれば、きっと毎日がもっと豊かになる。
「素敵なアイデアですね。私も検討してみます」
家に帰って、美咲は今日の野菜を使って夕食を作った。人参のかき揚げ、玉ねぎとキャベツの炒め物。どれも、いつもより美味しく感じられた。
それは、野菜が新鮮だからというだけではなかった。その野菜に込められた人々の想い、そして今日共に過ごした時間の記憶が、料理に特別な味を加えているのだった。
スマートフォンに届いた陽太からのメッセージを読みながら、美咲は微笑んだ。
『今日もありがとうございました。持ち帰った野菜で作った夕食、とても美味しかったです。また一週間、頑張って働いて、次の西谷での時間を楽しみにしています』
美咲も返事を打った。
『私も同じ気持ちです。今度は平日の西谷、本当に実現できたら素敵ですね』
窓の外を見ると、都市の夜景が広がっていた。でも今夜は、その光の向こうに、西谷の星空を思い浮かべることができた。