第3話「実りの季節」
秋も深まった11月。
美咲と陽太は、ついに平日の西谷ワーケーションを実現していた。
朝9時、二人は西谷の古民家カフェにパソコンを広げていた。
窓の外には紅葉した山々が見え、時折聞こえる鳥のさえずりが心地よい。
「こんな環境で仕事ができるなんて、夢みたいですね」美咲がつぶやいた。
「集中力も全然違います。不思議ですね」陽太も画面から目を離さずに答えた。
二人とも、それぞれの上司を説得してリモートワークの場所を変更する許可を得ていた。
美咲の上司は「成果が変わらなければ問題ない」と言い、陽太の上司は「新しい働き方の実験として面白い」と積極的に賛成してくれた。
午前中の仕事を終えると、二人は近くの農園でお昼休みのお手伝いをすることにしていた。
もはや、これが日常のルーティンになっていた。
「美咲ちゃん、陽太くん、今日もありがとう」
農園の小野おばあちゃんが、いつものように温かく迎えてくれた。
最初は「美咲さん」「陽太さん」と呼んでいたが、いつの間にか家族のような親しみを込めて呼んでくれるようになっていた。
「今日は柿の収穫を手伝ってもらえるかな」
「喜んで!」
二人は慣れた手つきで、高枝切りばさみを使って柿を収穫した。
最初の頃は怖くて手が震えていたが、今では効率よく作業ができるようになっていた。
「二人とも、すっかり上手になったねえ」小野おばあちゃんが感心して言った。
「おばあちゃんのおかげです」美咲が笑顔で答えた。
作業をしながら、陽太が言った。 「最近、仕事の効率も上がっているんです。ここで過ごす時間があるからかもしれません」
「私もです。なんというか、心に余裕ができたような気がします」
小野おばあちゃんは、二人の様子を見ながら微笑んだ。 「それはね、土と触れ合うことで心が落ち着くからよ。昔から、人間は自然と共に生きてきたんだから」
昼食は、いつものように小野おばあちゃんの手作り弁当だった。
今日は、先月収穫した野菜を使った煮物と、新米のおにぎりだった。
「このお米、私たちが稲刈りしたものですよね?」美咲が尋ねた。
「そうよ。あの時のお米が、こうやって食卓に並んでいるの。不思議でしょう?」
確かに不思議だった。
自分たちが汗を流して刈った稲が、今こうして自分たちの体に入っている。
都市部では絶対に味わえない、生命の循環を実感する瞬間だった。
午後の仕事を再開した二人。
カフェに戻ると、店主の森川さんが声をかけてくれた。
「お二人、もうすっかり西谷の住人みたいですね」
「そう言っていただけると嬉しいです」陽太が答えた。
「実は、来月西谷で収穫祭があるんです。良かったら、お手伝いしてもらえませんか?」
収穫祭。
美咲の心が躍った。
地域のお祭りの準備に関わるなんて、子どもの頃以来だった。
「どんなお手伝いでしょうか?」
「野菜品評会の準備や、当日の運営、農産物の販売など、いろいろありますよ。もちろん、無理のない範囲で」
美咲と陽太は顔を見合わせて、同時に頷いた。
「ぜひ、参加させてください」
その日の夕方、二人は収穫祭の実行委員会に顔を出した。
西谷ふれあい夢プラザの一室に集まったのは、年齢も職業もバラバラな地域の人たちだった。
「新しい仲間が増えて嬉しいです」実行委員長の中村さんが歓迎してくれた。「西谷の収穫祭は、みんなで作り上げるのが伝統なんです」
会議では、野菜品評会の運営から、農産物の販売、キッチンカーの配置まで、様々なことが話し合われた。美咲と陽太は、初参加ながらアイデアを出したり、作業の分担を申し出たりした。
「美咲さんはシステム関係が得意だから、品評会の集計や会計のデジタル化を任せてもらえませんか?」
「陽太さんは人事のお仕事だから、ボランティアスタッフの配置を考えてもらえる?」
二人の専門性を活かした役割を提案されて、とても嬉しかった。
都市部では、仕事のスキルと地域活動がつながることは少ない。
でも、ここでは自分たちの持っているものが、直接地域の役に立った。
会議の後、二人は西谷の夜道を歩いていた。街灯は少ないが、星空がとても美しかった。
「今日、すごく充実していました」美咲が言った。
「僕もです。仕事も、農作業も、祭りの準備も、全部つながっているような感じがしました」
立ち止まって星空を見上げた陽太が、続けた。 「美咲さん、僕たち、いい関係を築けていますね」
その言葉に込められた意味を理解して、美咲の頬が赤くなった。
確かに、二人の関係は最初の出会いから大きく変わっていた。
「陽太さんと一緒だから、西谷での時間がこんなに楽しいんだと思います」
素直な気持ちを伝えた美咲に、陽太は優しく微笑んだ。
「僕も同じ気持ちです。西谷で美咲さんと出会えて、本当に良かった」
二人の間に、温かい空気が流れた。それは恋愛感情だけではなく、同じ価値観を共有する仲間としての絆でもあった。
バス停で別れる前に、陽太が言った。
「収穫祭の準備、頑張りましょうね」
「はい。みんなで作り上げる収穫祭、絶対に成功させましょう」
家に帰った美咲は、今日の出来事を振り返っていた。
朝の仕事、昼の農作業、夕方の会議。
一つ一つは小さなことだが、それらが全てつながって、充実した一日を作り上げていた。
そして、その全ての瞬間に陽太がいてくれた。
一緒に汗を流し、一緒に笑い、一緒に未来を描いている。
スマートフォンに届いた陽太からのメッセージを読んで、美咲は微笑んだ。
『今日もお疲れ様でした。西谷での毎日が、どんどん特別になっていきますね。明日も一緒に頑張りましょう』
美咲は返事を書いた。
『私も同じ気持ちです。明日もよろしくお願いします。そして、収穫祭も一緒に成功させましょうね』
窓の外には、まだ西谷の星空の記憶が残っていた。都市の夜景の向こうに、もう一つの故郷ができつつあった。