子どもの頃、何万匹もの蛍が土手を埋め尽くしていた——。
西谷地区まちづくり協議会・環境部会の平井さんは、その光景が今も記憶に焼きついていると語る。
3月初旬、環境部会のメンバーが川沿いに集まった。
蛍が帰ってくる場所をつくるために。

「ガタロブチ」と呼ばれた、かつての蛍の楽園
今日の活動の舞台は、地元で「ガタロブチ」と呼ばれてきた水辺。
昔はカッパの伝説が残るほど、水が豊かな場所だったという。
「3メートル、5メートルの土手一面に、蛍がびっしり止まっていたんですよ」
今、平井さんと一緒に活動する部会長の前中さんはそう語りながら、川辺の枯れ草に鎌を入れる。
あの頃の風景を少しでも取り戻したい——その想いが、この活動の原点だ。

一人で始めた。でも、一人ではできなかった
前中さんや平井さんたちがこの場所で蛍の環境づくりを始めたのは、もう何年も前のこと。
最初は平井さん一人で草を刈っていた。
「一人ではできません。」
そう実感してから、環境部会の仲間に声をかけた。
今では年に一度、3月の初めに皆で川に入り、枯れ草を刈り、水の流れを整える。
蛍の幼虫は3月から4月に川から上がり、土の中で蛹になる。
その前に環境を整えておくことが大切なのだという。
地道な作業を続けた結果、今では50匹から100匹ほどの蛍が飛ぶ場所になった。

蛍が光るのは、愛のサイン
「蛍ってなんで光るか知ってますか?」
環境部会のメンバー戸田さんの問いかけに、思わず身を乗り出した。
「あれはオスとメスの出会いなんですよ。メスが『私はここにいますよ』と光って、オスを誘うんです」
だから、周りが明るいとその小さな光は見つけてもらえない。
街灯が増え、家の明かりが増えた現代では、オスとメスが出会えなくなっているのだという。
戸田さんに蛍が暮らすために必要な条件を聞いてみた。
- 暗いこと——光の届かない静かな場所であること
- カワニナがいること——蛍の幼虫の唯一の食べ物。緩やかな流れの中で、苔や落ち葉を食べて暮らしている
- 農薬が少ないこと——虫や貝を殺す薬は、蛍の命も奪う
- 土の岸辺があること——蛹になるとき土に潜る必要がある。コンクリートの護岸では生きられない
「今の現代生活は、その条件と全部反対のことをやってるわけなんです」
だからこそ、条件が残っている場所を見つけ、壊さないようにする。
そして少しだけ手を加えて、環境が維持されるように「お手伝い」をする。
それが環境部会の活動なのだと、戸田さんは静かに語った。

命との距離を、もう一度近くに
話は蛍から、もっと大きなテーマへと広がっていった。
西谷生まれの平井さんや前中さんは、子どもの頃の思い出を話し始めた。
川で泳ぎ、石の下に手を突っ込んで小魚を捕まえた日々のこと。
メンバーの辰巳さんは、「水の中は人間が生きられない世界。魚や、両生類、水生生物たちの世界でしょう。
だから、違う世界を汚すのは失礼だと思うんです」川のパトロールでプラスチックごみを拾うこともある。
メダカやフナなど、かつて身近にいた生き物たちの姿も探している。
「今の子どもたちにも、スマホの中だけじゃなくて、本物の生き物に触れてほしいなぁと思います」
昔の人は、自然の中で遊び、自然から食べ物をもらい、命と直接つながっていた。
その距離が、今どんどん遠くなっている。
「生き物に関心を持つきっかけをつくりたいと思っているんです」
環境部会の活動は、蛍を守ることだけではない。
人と自然の距離を、もう一度近づけること。
気づかないうちに、命の大切さに触れている——そんな場をつくることだ。

蛍の観察会を、いつかこの場所で
環境部会では今後、蛍の観察会の開催を目指しているという。
「蛍を知っていただいて、その環境を守る活動にも参加してくださったら嬉しいなぁ」
まずはお隣の生き物を知ること。
そこから始まる、小さな一歩。
西谷にはまだ、蛍が帰ってこられる場所がある。
その場所を守り続ける人たちがいる。
微々たることかもしれない。でも、関心を持って、小さなことからできることを。
蛍の光は、自然と人とのつながりを静かに照らし続けている。
この西谷で、命との距離がまた少し近くなった。

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