翌日、敬太郎は再び西谷の丘を訪れていた。昨日の夕暮れとは違い、午前の陽射しが柔らかく土を照らしている。
「また来たんですか」
声をかけられて振り返ると、麦わら帽子を被った老人が立っていた。七十歳は過ぎているだろうか。日に焼けた顔に深い皺が刻まれているが、瞳は穏やかで温かい。
「はい。昨日、ここから夕日を見まして」
「そうでしたか。私は田中と申します。毎日この辺りを見回っているんです」
田中翁と名乗った老人は、敬太郎の隣のベンチに腰を下ろした。
「ダリアの世話をされているんですか」
「ええ、もう十五年になります。最初はほんの思いつきでしてね。でも今では、この丘が私の生きがいです」
翁は眼下の畑を見つめながら、静かに語る。
「若い頃は、何もかも急いでいました。早く結果が欲しくて、待つということができなかった」
敬太郎は胸の奥がざわめくのを感じた。
「でも球根は正直です。時が来れば必ず芽を出し、花を咲かせる。人間も同じではないでしょうか。焦っても、時を無視しては何も始まらない」
「時を待つ、ですか」
「そう。ただし、何もせずに待つのではありません。土を耕し、水をやり、愛情を注ぐ。そうして初めて、時は意味を持つのです」
翁の言葉は、敬太郎の胸に深く響いた。自分は焦るばかりで、本当に大切なことを見失っていたのかもしれない。
遠くで鶯が鳴いている。武庫川の清流が、変わらぬ調べで谷間を流れていく。
「明日もここに来ます」
敬太郎の声には、昨日までとは違う響きがあった。
