春風の道標 〜西谷の丘にて〜 #8-5

四日目の朝、いつものベンチに向かう足取りが軽い。昨夜は久しぶりによく眠れた。里山歩きの疲れもあったろうが、それ以上に心の澱が少し晴れたような気がしてならない。

「あ」

角を曲がった瞬間、声が漏れた。昨日まで黒い土が露出していた花壇から、小さな緑の芽が顔を出している。チューリップの芽だろうか。か細くも力強く、土を押し上げている様が妙に眩しい。

「綺麗でしょう?」

振り返ると、美咲が立っていた。手には水の入ったジョウロを持っている。

「君が世話をしているのか」

「田中さんと一緒に。昨日植えたばかりなのに、もう芽が出始めて」

美咲の頬が朝の光に染まっている。その表情には、昨日まで感じていた迷いの影がない。

「敬太郎さん」

珍しく名前で呼ばれて、胸がとくりと鳴った。

「私、決めました。農業大学に進学します。編入試験を受けるつもりです」

「本当に?」

「はい。時間はかかるけれど、ここで学んだことを活かしたい。田中さんも応援してくださって」

美咲の声に確信がある。迷いを抜けた人間だけが持つ、清々しい響きだ。

敬太郎は再び小さな芽に目を向けた。土を割って出てきたその姿が、何かを訴えかけているようだ。

「僕も」

思わず口をついて出た。

「僕も何か始めなければ。君を見ていて、そう思うんだ」

美咲が微笑む。

「一緒に頑張りましょう」

春風が二人の頬を撫でていく。西谷の空は今日も青く、新しい季節の扉がゆっくりと開かれようとしていた。