二月の夜半、美咲は牛舎で異変に気づいた。桜が落ち着きなく歩き回り、時折苦しそうにうめき声を上げている。
「山田さん!」
美咲の声で飛び起きた山田さんが牛舎に駆けつけると、桜の様子を一目見て表情を引き締めた。
「難産だ。恵子に連絡してくれ」
外では雪が激しく降り続いている。道路は既に真っ白に覆われていたが、恵子さんは四輪駆動の車で駆けつけてくれた。
「お疲れさま。状況は?」
「三時間前から陣痛が始まったけど、なかなか出てこない」
恵子さんは素早く手袋をはめ、桜の状態を確認した。美咲は息を呑んだ。生命の誕生の現場に立ち会うのは初めてだった。
「逆子ですね。手で向きを変える必要があります」
雪は一向に止む気配を見せず、牛舎の屋根を激しく叩いている。電気は時折不安定になり、山田さんが懐中電灯を用意した。
「美咲さん、こっちを持っていてくれる?」
恵子さんに頼まれた美咲は、震える手でライトを構えた。桜は疲れ果てているようだったが、まだ諦めていない。
「頑張れ、桜」
山田さんが優しく声をかける。その声には、長年桜と共に過ごしてきた深い愛情が込められていた。
午前三時を回った頃、ようやく子牛の頭が見えてきた。
「よし、もう少しだ」
恵子さんの額には汗が浮かんでいる。美咲も固唾を呑んで見守った。
そして午前四時過ぎ、小さな命が誕生した。
濡れた毛に覆われた子牛が、この世に生まれ落ちた瞬間、美咲の目に涙があふれた。命の誕生の神秘さ、そしてそれを支える人々の愛情の深さに、心を震わされた。
「おめでとう、桜」
山田さんが母牛の頭を撫でる。桜は疲れた様子ながらも、生まれたばかりの我が子を舐め始めた。
外の雪はまだ降り続いているが、牛舎の中は命の輝きに満ちていた。
「ありがとう、美咲さん。あなたがいてくれて心強かった」
恵子さんの言葉に、美咲は深くうなずいた。東京では味わえなかった、命と向き合う尊い体験だった。
雪夜に響いた新しい命の鳴き声が、美咲の心に深く刻まれた。