西谷物語 〜雪原に響く鐘の音〜命をつなぐ牧場の冬〜〜 #3-6

桜のつぼみが膨らみ始めた三月の午後、美咲の携帯電話が鳴った。

「田中さん、お疲れさまです。人事部の佐藤です」

東京の会社からの電話だった。美咲は牛舎から少し離れた場所で通話に応じた。

「休職期間がもうすぐ終了となりますが、復職のご準備はいかがでしょうか」

「はい、承知しております」

「それでは、来月初旬からの復帰ということでよろしいでしょうか」

美咲は一瞬言葉に詰まった。頭では分かっていたことなのに、実際に復職の話を聞くと胸が締め付けられる思いがした。

「はい、分かりました」

電話を切ると、美咲は長いため息をついた。

夕方の餌やりを終えた後、美咲は山田さんに復職のことを告げた。

「そうか、もうそんな時期になったのか」

山田さんは作業の手を止めて、遠くの山を見つめた。

「寂しくなるな。美咲さんがいてくれて、牛たちもずいぶん落ち着いてたのに」

「私こそ、本当にお世話になりました」

美咲の声は少し震えていた。

花音が美咲のそばにやって来て、いつものように甘えるように首を擦り寄せてきた。

「花音、私がいなくなっても、山田さんの言うことをちゃんと聞くのよ」

美咲が頭を撫でると、花音は寂しそうな目で美咲を見上げた。まるで美咲の心を読み取っているかのようだった。

雷太も奥からゆっくりと歩いて来た。最近は美咲に心を開き、毎日のように近づいて来るようになっていた。

「雷太も、体調に気をつけてね」

雷太は美咲の手のひらに温かい鼻を押し付けた。

桜は子牛の希望と一緒に、少し離れたところから美咲を見つめている。母子の絆の強さに、美咲はいつも心を打たれていた。

その夜、美咲は山田家の居間で晩ご飯をいただいた。

「美咲さんがいなくなったら、牛たちも寂しがるでしょうね」

奥さんがしみじみと言った。

「東京に戻っても、たまには西谷のことを思い出してくださいね」

「もちろんです。ここで過ごした時間は、私の宝物です」

美咲は窓の外を見た。西谷の山々が夜空に静かにそびえている。

東京に戻れば、また忙しい日々が始まる。満員電車に揺られ、パソコンの前で長時間働く毎日。

でもここで学んだことは決して忘れない。命と真摯に向き合うこと、自然のリズムに身を委ねること、そして何より、生きることの本当の意味。

美咲の心の中で、ある想いが静かに芽生え始めていた。