締切が迫っていた。編集部から催促の電話が入り、雄一郎はデスクに向かったまま動けずにいる。
約束の日だった。美咲との。
窓の外では雨が降り始めている。六月の雨は、西谷の緑を一層深く染めているだろう。
「片山さん、進捗はいかがですか」
上司の声に、雄一郎は慌てて振り返った。
「申し訳ございません。もう少しお時間を」
時計の針は、既に午後を指している。
美咲は今頃、あの小さな庭で鶏たちに餌をやりながら、雄一郎を待っているのかもしれない。
雨脚が強くなった。
一方、西谷の古民家では、美咲が雨音に耳を澄ませていた。
「来られないのね」
つぶやいて、彼女は立ち上がった。雨合羽を羽織り、長靴を履く。
雨に打たれながら、美咲は田んぼのあぜ道を歩いた。稲の苗が雨に洗われて、青々と輝いている。
足元に小さな水たまりができ、空の色を映している。
歩きながら、美咲は雄一郎のことを考えていた。あのオムレツの味。料理をする時の真剣な横顔。そして、夕日の中で交わした約束。
「仕方のないことよ」
自分に言い聞かせるように、美咲はつぶやいた。
雄一郎には雄一郎の事情があるのだろう。それでも、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
雨は夕方まで降り続いた。
記事をようやく仕上げた雄一郎が、スマートフォンを手に取る。美咲の連絡先は知らない。
窓の外の雨が、彼の心を映すように激しく降っている。
西谷のどこかで、美咲も同じ雨を見上げているのだろうか。
距離以上に遠く感じられる想いを抱えて、雄一郎は深いため息をついた。
