柏の葉の煙 〜西谷・端午の里山にて〜 #11-7

夕暮れが波豆川を赤く染める頃、省吾はようやく携帯を手に取った。

画面に「拓也」の文字が光っている。着信履歴の中に、三日前のものがあった。

呼び出し音が三度鳴った。

「……親父?」

息子の声は、省吾が思っていたより近かった。

「ああ。孫に、会いに行きたい」

それだけを言った。言えた。

しばらく沈黙があった。川の瀬音が、遠くから届いてくる。

「……いつでもええよ」

拓也の声が、かすかに揺れた。

翌朝、省吾は夜明けとともに波豆川の畔へ出た。川沿いの柏の木の根元に、まだ使えそうな葉が数枚落ちていた。湿り気を帯びた葉を、一枚一枚丁寧に拾い上げる。来年のため、というわけでもない。ただ、そうしたかった。

公民館の前でハナに会った。

「お世話になりました」

省吾が頭を下げると、ハナは手を振った。

「なんもなんも。来年も一緒に作りましょ」

それだけだった。飾り気のない言葉が、静かに胸に落ちた。

西谷の山道をゆっくりと下りていく。ウグイスが鳴いている。棚田の水面が、朝の光を受けてやわらかく輝いていた。

袖に、まだ煙の匂いが残っていた。

柏もちを蒸したせいろの湯気。公民館の台所。破れた白い腹をのぞかせた餅。ハナの「食べてみい」という声。

三十年分の誇りが折れた日から、ずっと何かを閉じていた。それがようやく、すこしだけ開いた気がした。

山の端に、薄い雲がたなびいている。

省吾は立ち止まり、振り返った。波豆の稜線が、青くけぶっていた。

それから、また歩き出した。