これは、奇妙な記録だ。その続きだ。
初霜が降りた夜のことを、俺はおそらく一生忘れない。
波豆川沿いの棚田に、くぐもった轟音が響いたのは、日付が変わる少し前だった。
石垣が、崩れた。
三週間かけて積み直した、あの石垣が。
陽子が悲鳴を上げた。ケンジが懐中電灯を向けた。光の中に、崩れた石と黒い土が、無残に散らばっていた。
「……終わりや」
ケンジの声は、かすれていた。
「許可の話も宙ぶらりんのまま。石垣も崩れた。もう無理やろ、蒼太さん。俺たち、何やってんやろな」
反論できなかった。行政への申請は止まったまま。庄三の田は正式な手続きの谷間に落ちていた。体力も、時間も、限界に近かった。
ケンジが踵を返した。陽子が後を追った。
俺は、動けなかった。
崩れた石を見ていた。霜に濡れて光る、一つひとつの石を。
――そうか。
気づいたら、屈んでいた。
素手で石を持ち上げていた。凍えた指が、痛かった。それでも積んだ。また積んだ。鍬を振るった。土を寄せた。
誰もいない闇の中で、俺は黙って、崩れた場所と向き合った。
どのくらい経ったか、分からない。
ふと、足元に光が差した。
振り返ると、田の上の畦道に、一つの明かりがあった。
懐中電灯だった。
庄三が、立っていた。
老人は何も言わなかった。近づいてもこなかった。ただそこに立って、光を俺に向け続けていた。
寒かった。手が震えた。それでも俺は石を積んだ。
庄三の光が、揺れなかった。
大峰山の稜線が、星明かりの中に黒く浮かんでいた。西谷の夜は深く、静かで、恐ろしいほど美しかった。
俺はまだ、燃えていた。
