闇田の火 〜西谷に眠る土地と、燃える男の記録〜 #12-1

これは、奇妙な記録だ。

俺が西谷に足を踏み入れてから、まだ三日しか経っていない。なのに、もうすでに「引き返せない場所」まで来てしまった気がしている。

――玉瀬の廃屋を見つけたのは、偶然だった。

波豆川沿いの細い道を歩いていたら、茅葺き屋根の残骸が雑木林の奥に沈み込むようにして建っていた。刑事だった頃の癖が抜けず、俺はためらいもなく戸を押した。

軋む音。黴の匂い。そして、土間の隅に積み上がった古い帳面の山。

「農地台帳」と墨書きされた一冊を手に取った瞬間、一枚の紙が足元に滑り落ちた。

広げると、手書きの地図だった。波豆川の蛇行と、周囲の田の区画が几帳面に描かれている。ただ、地図の端に、まるで誰かが震える手で書き殴ったような文字があった。

――二度と耕すな。

俺は声に出して読んでしまってから、妙な寒気を感じた。

翌朝、地図を頼りにその場所へ向かった。秋の霧が西谷の山裾から這い下りてきて、棚田の跡地を白く包んでいた。

草に埋もれた畦道を踏みながら近づくと、鼻の奥を刺すような腐った土の匂いが漂ってきた。腐葉土とも泥炭とも違う、もっと重い、昏い匂いだ。

あたりは異様なほど静かだった。風もない。鳥の声もない。

「この土地には、何かがいる」

声に出したわけじゃない。でも確かに、俺の腹の底でそう鳴った。

警察を辞めた理由も、ここへ来た理由も、今は話せない。ただ言えることがある。

俺の中で、何かがまた燃え始めていた。消えかけていたはずの火が、この腐った土の匂いに煽られて、ぐっと息を吹き返した。

まだ終わっちゃいない――と。