六月の西谷は、緑が濃くて、空気がやわらかくて、なんだか生きているものすべてを包み込むような優しさがあった。
田中光男は、その優しさにちょっと戸惑いながら、公民館の前に立っていた。手にはずっしりと重い研究資料の入ったカバンと、「蛍復活プロジェクト始動!」と書かれた看板。
「あの、田中先生でしょうか」
振り返ると、エプロンをしたおばあちゃんが三人、にこにこしながら立っていた。
「はい、そうです。よろしくお願いします」
光男は慌ててお辞儀をした。
「まあ、若い先生やなあ。蛍のこと、なんでも知ってはるんやろうなあ」
「はい、まあ、一応博士号も取りまして」
「すごいなあ。それやったら、波豆川の蛍、昔はようけおったんやけど、どうしたら戻ってくるかなあ」
光男の顔が、急に青ざめた。
「あの、実は……」
「実は?」
「野生の蛍を、見たことがないんです」
静寂。
カラスの鳴き声だけが、やけに響いた。
「え?」
「机の上の研究ばかりで、実際の蛍は……写真とか、標本でしか」
おばあちゃんたちは顔を見合わせて、それからくすくすと笑い始めた。
「まあ、かわいい子やなあ」
「そんなん、見せたらええがな。今年の夏には、きっと見せたるから」
「心配せんでええよ。みんなでお世話したるから」
光男は、なんだか涙が出そうになった。
この温かさに包まれていたら、本当に蛍が戻ってくるような気がしてきた。
