闇田の火 〜西谷に眠る土地と、燃える男の記録〜 #12-6

これは、奇妙な記録だ。その終わりだ。

三月になった。

波豆川は雪解けの水を満たし、冷たい光の中を勢いよく流れていた。大峰山の稜線には、まだ白いものが残っていた。けれど棚田の土は、確かに目覚めようとしていた。

行政への申請が、通った。

あの夜から、何かが変わった。庄三が区の寄り合いに出た。陽子が市の窓口へ幾度も足を運んだ。ケンジが農業委員会の書類を抱えて自転車を漕いだ。静かな、しかし執念深い戦いだった。

そして今日、闇田に人が集まった。

庄三、ケンジ、陽子。それから、西谷の農家が数人。顔と名前を覚えたのはいつの間にか、だった。

田起こしの火入れ式。

枯れ草を束ねたものに、庄三が火を入れた。小さな炎が、すぐに棚田の畦道を舐めるように広がった。白い煙が、波豆川の上をゆっくりと流れた。

「燃えとる」

ケンジが、ぼそりと言った。

「当たり前や」

俺は答えた。

煙が霞のように棚田を包んだ。陽子が、泣いているのか笑っているのか分からない顔で空を見上げていた。

俺は、ずっと謎を追っていた。

地図に記された闇田の印。消えた耕作の記録。誰かの意志が、この土地に埋められたように見えた。

だが今なら分かる。

謎の正体は、人の意志そのものだった。庄三が、この土を耕し続けた。誰にも言わず、記録にも残らず、ただ黙って火を入れ続けた男の、四十年分の執念だ。

それは怪異でも幻でもなかった。

土の中に眠る、本物の火だった。

炎が棚田を渡り、春霞が西谷の谷を満たした。

俺はまだ、燃えていた。