五月も半ばを過ぎると、波豆川沿いの山肌はいよいよ深い緑に染まった。
省吾は毎朝、その道を歩いてハナの家に向かった。気がつけば足が向いていた、という方が正確だったかもしれない。
「今日はかまどや」
ハナは土間の奥を顎でしゃくった。古い石組みのかまどに、すでに薪が組んである。
省吾は言われるまま、細い薪を割って足した。火口に火をつけると、白い煙がゆっくりと梁の方へ昇っていった。
しばらく二人とも黙っていた。
「うちの人もな、かまどの前におるのが好きやった」
ハナが、ふとつぶやいた。
「無口な人やったけど、火ぃ見てる時だけは、ぽつぽつと話した」
省吾は薪をくべる手を止めなかった。ハナも続けた。
「もう二十年になるわ。逝ってから」
「……長いですね」
「長いな。でも慣れへん」
煙が二人の間をゆっくりと流れた。
省吾は目を細めた。
「うちの家内は、七年前に逝きました。病気で。店を畳んだのはその二年後です」
口にしたのは、久しぶりだった。
「一人でやる気になれんかった、ということですか」
「……そうかもしれません。わかりません、今も」
ハナは何も言わなかった。ただ鍋の蓋を少しずらして、湯気の具合を確かめた。
「店、大事にしてたんやな」
問いでも慰めでもなかった。ただそれだけを、静かに言った。
省吾は火を見つめた。揺れる炎の色が、大阪の店の窓から差し込んでいた夕光に似ていた。
かまどの煙は、上へ上へと流れて消えた。
西谷の五月の空が、土間の小さな明かり取りから、静かに覗いていた。
