朝から霧が出ていた。
波豆川沿いの田んぼが白く霞み、蛙の声だけが靄の中に響いている。
公民館の台所では、せいろの湯気が天井まで上がっていた。ハナをはじめ集落の女たちが、前掛けをして並んでいる。省吾は隅に立ち、蒸し上がりを待った。
ところが、せいろの蓋を開けたとき、省吾は息をのんだ。
自分が包んだ柏もちのいくつかが、葉を破って白い腹をのぞかせていた。葉の重なりが足りなかったのだ。包みが甘かった。
女たちが目を合わせた。誰も何も言わなかった。それがかえって、胸に刺さった。
省吾は黙って立ち尽くした。職人だった。三十年、菓子を作ってきた。それが、こんな体たらくだ。
「破れても、中身は同じや」
ハナが、静かに言った。
余計な言葉はなかった。ただそれだけだった。
省吾は、ぐっと奥歯を噛んだ。
店を畳んだ日のことが、不意によみがえった。シャッターを降ろして、裏口で一人しゃがみこんだ。泣けなかった。泣いてはいけないと思っていた。
息子から電話が来た夜も、おめでとうと言えなかった。
光子が逝ったとき、葬儀の間じゅう、顔を上げ続けた。
ずっと、何かを閉じたままだった。
省吾は目頭を押さえた。人前で、初めてのことだった。
ハナは何も言わず、破れた柏もちをひとつ手に取った。葉を丁寧に開いて、白い餅を確かめるように見て、それから皿の上に並べた。
「ちゃんと美味しいわ。食べてみい」
窓の外で、霧がすこしずつ薄れていた。波豆の山の稜線が、淡い朝の光の中に姿を現してきた。
