夜明け前から、悠斗は一人で作業を始めていた。
軒下に積んでいた青竹を、一本ずつ割っていく。鉈を振るたびに、パンと乾いた音が山あいに響いた。来年の水路用に、今のうちから干しておく。それだけのことだったが、手を動かしていると、不思議なほど気持ちが落ち着いた。
祖父がやってきたのは、陽が棚田の向こうに顔を出したころだった。
何も言わずに隣に腰を下ろして、煙草に火をつけた。煙が細く、朝の空気の中に溶けていった。
しばらくして、悠斗は口を開いた。
「じいちゃん、コンテスト、出てみることにした」
祖父は煙草を一度だけ、ゆっくり吸った。
「そうか」
それだけだった。でもその二文字が、悠斗の胸にすとんと落ちた。
うまくいかなくてもいい、と今は思えた。あの出汁の味を、自分なりに形にしてみたい。それだけでいい。失敗したって、また作ればいい。竹みたいに、ひびが入っても水を流せばいい。
荷物をまとめて、農家民宿を出たのは昼前だった。
バスが走り出すと、窓の外に棚田が広がった。緑の水面に、夏の終わりの白い雲が映っていた。武庫川の上流の、あの細い流れも見えた気がした。
ひかるは大阪で花を扱う。田中はコンテストを待っている。祖父は来年も、あの竹を手入れする。
悠斗は声に出さずに決めた。
——来年の夏も、ここに来よう。竹を割って、出汁をとって、またここの水を飲もう。
山が遠くなっていった。でも、竹の音だけがまだ、耳の奥に残っていた。
