仙蔵が起き上がれるようになったのは、それから三日後のことだった。
「案外しぶとい」
老人は照れたように笑い、縁側で茶を飲んだ。蘭はその隣で、こっそり目を拭っていた。
透矢は荷物をまとめていなかった。宿の支払いを延長し、古書の仕事はメールで詫びを入れた。誰かに相談したわけでもない。気づいたら、そうしていた。
記録帳の写しを取りながら、仙蔵の話を聞いた。
花守りとは、花に寄り添うことだ——と、老人は言った。守るのではなく、共に在ること。
「花は、見られとる間だけ咲くんやない。誰も来ん日も、ちゃんと咲く。それを知っとる人間が一人おれば、それでええんや」
透矢はペンを走らせながら、祖父の声を思い出した。
——花には魂が宿る。
あの言葉は否定できないままだった。今は、否定する気もなかった。
畦道に出たのは、快晴の午後だった。
仙蔵が小さなザルに球根を山盛りにして持ってきた。チューリップではない。名前を聞いたが、老人はただ「西谷の花や」と言うだけだった。
透矢は土を掘り、蘭が球根を置き、仙蔵が覆う。三人の影が棚田の斜面に伸びた。
手が汚れた。爪の中まで、黒い土が入り込んだ。
気にならなかった。
顔を上げると、畦の先に連なる色とりどりの花々が、春の光の中で揺れていた。白、黄、赤、紫。まるで誰かが丁寧に言葉を並べたような、静かな配列だった。
「ここに来てよかった」
声に出してから、透矢は少し驚いた。
蘭が振り返り、仙蔵が細い目でこちらを見た。二人とも、何も言わなかった。それでよかった。
その夜、透矢は古書を取り出した。
余白の「西谷の花守り」という文字は、以前と変わらず小さくそこにあった。
透矢はペンを構え、その隣にさらに小さく書き添えた。
——西谷・花守りの丘・継ぐ者あり。
インクが乾くのを待ちながら、窓の外の春を見た。
闇の中に、花の気配があった。
