夜の九時を回った頃、庄平が縁側に現れた。
「行くか」
それだけだった。
懐中電灯を一本手渡され、誠司は老人の後をついた。舗装のない農道を抜け、波豆川の土手へ下りる。草が足首を濡らした。六月の闇は、思ったより深かった。
「ここや」
庄平が足を止めた。
川音がした。それから、光が見えた。
一つではなかった。十でも百でもなかった。川面に沿って、緑がかった白い光が、呼吸するように明滅している。ゲンジボタルだった。岸の葦を伝い、水の上を漂い、時に絡み合いながら、無数の灯が暗闇を縫っていた。
誠司は、息を止めていた。
自分でも気づかなかった。肺の中の空気が、静止していた。
「きれいやろ」
庄平の声は低く、穏やかだった。自慢でもなく、ただ事実を述べるように。
「村瀬は、一人でここに来た」と老人は続けた。「わしが教えたわけやない。夜中に離れを出て行くから、心配して後をつけた。川の前に立って、ずっと泣いとった」
誠司はホタルを見つめたまま、動かなかった。
「泣いた理由は聞かなんだ。聞けるような顔やなかった。それに」庄平は少し間を置いた。「泣ける場所がある、いうのは、悪いことやない」
村瀬が何を背負ってここへ来たのか、誠司には分からなかった。三年前の相棒の内側に、自分が知らない何かがあった。それが今、ホタルの光の中に溶けている気がした。
川が鳴っている。
光が揺れている。
「ありがとうございます」
誠司が言うと、庄平はただ頷いた。二人は並んで、しばらく川を見ていた。
