竹の音がする方へ 〜西谷の夏、清流に流れるもの〜 #19-1

大阪のアパートを出たのは、朝の五時だった。

まだ眠たい街を、悠斗は背中を丸めて歩いた。リュックの中には着替えと、料理の教科書が二冊。それから、講師の言葉がずっとこびりついていた。

「朝倉、センスがないな」

盛り付けの実習だった。ただそれだけのことだ。皿の上に料理を並べる、ただそれだけのことができなかった。クラスメイトの視線が、音もなく背中に刺さった。

宝塚駅で乗り換えて、バスに揺られること四十分。車窓の景色がゆっくりと変わっていく。コンクリートが消えて、田んぼが広がって、山の緑が深くなる。玉瀬あたりに差しかかると、棚田が段々と重なって、朝の光の中に静かに光っていた。

悠斗は額を窓ガラスにそっとあてた。

冷たかった。少しだけ、息ができた。

バス停から十分ほど歩いた先に、祖父・勝三の民宿がある。細い道を抜けると竹林が現れて、その青さに毎年驚かされる。竹は風もないのに、さわさわと揺れていた。

煙が見えた。

竹林の奥、裏山のあたりに、白い細い煙が上がっている。

「じいちゃん」

思わず声が出た。返事はなかった。でも、悠斗は迷わず竹林に入った。足元の土が柔らかかった。緑の匂いがした。

勝三は太い竹を一本、丁寧に切り出しているところだった。七十二歳とは思えない、しっかりとした手つきだった。

「来たか」

顔を上げた祖父は、ただそれだけ言って、また竹に向き直った。

「何してるの」

「何って、見たらわかるやろ。今年も流しそうめんするんや」

そう言って笑った顔が、皺だらけで、まぶしかった。

胸の奥で、何かがじわりとほぐれた。涙ではなかった。もっと静かな、あたたかいものだった。