朝、真弓が言った。
「大地はね、来年には出て行くんよ。農業法人に移るって」
蓮は手の中のコーヒーカップを、少しだけ強く握った。
「ちまきは」
「継ぐ人は、おらん」
真弓は笑ったけれど、その笑いの奥に、長い時間が静かに沈んでいた。
蓮は何も言わずに、カメラを持ち出した。
真弓の手を撮った。笹を割く指を、い草を引く節くれだった関節を。大地の手を撮った。積まれたちまきを、台所の窓から差し込む光の中で撮った。
撮るほど、何かがレンズの向こうに逃げていく気がした。
絵として切り取るたびに、その手の温度が薄くなっていく。匂いが消えていく。シャッターを押すたびに、何かを失っているような感覚があった。
大地が縁側に出てきて、蓮の隣に立った。
「撮ることで、残せると思ってる?」
責めているわけじゃなかった。ただ、知りたいというふうに聞いた。
「わからない」
蓮は正直に言った。「残せるとは思ってない。でも、消えていくのを見ていたくない」
大地は少しだけ黙った。
「俺も、同じかもしれん」
西谷の山は、五月の終わりの色をしていた。青というより、緑というより、もっと名前のない色だった。
記録することと、受け継ぐことは、きっと別のことだ。
でも蓮はふと思った。別のことであっても、どちらも誰かへの意志だ。克哉が「撮りに行くべきだ」と言ったとき、きっとそういうことを知っていた。
大地の横顔が、光の中にあった。
蓮はカメラを下げた。今日だけは、レンズを通さずに、この場所を見ていたかった。
