朝から、台所は湯気でいっぱいだった。
西谷の山から吹き降りてくる風が縁側を通り抜け、大鍋のそばにいる者たちの額の汗を冷ましていった。笹の香りが、家中に満ちていた。
「よし、入れるで」
おちよ婆さんの声で、それぞれが自分のちまきを鍋へ沈めていった。田辺のじいさん、常連の農家のおばちゃんたち、そして桑田孝一。
桑田のちまきは、見るからに不格好だった。
笹の巻き方がゆるく、縛ったイグサがどこか頼りない。前日、三十分かけて仕上げた一本だった。「まあ、味は同じや」と自分に言い聞かせて鍋に入れた瞬間、隣のおばちゃんが小声で「……ちょっと心配やな」と言うのが聞こえた。
五分が経ち、十分が経った。
異変は、十五分目に起きた。
鍋の中で、何かがほどけた。
「あっ」
誰かが声をあげた。湯の中で、白いもち米がゆっくりと広がっていくのが見えた。笹だけが哀れに浮かんでいた。
一瞬の沈黙のあと、台所が爆笑に包まれた。
「ちまき汁や!」とおばちゃんのひとりが叫んだ。田辺のじいさんが、珍しく声をあげて笑った。桑田も笑った。声が出るほど笑った。
なのに、なぜか目の奥が熱かった。
笑いながら、潤んでいた。
この七日間が、走馬灯のように胸を過ぎった。泥だらけの革靴。じいさんの話。ほどけなかった笹の音。
「来年また来たら、ちゃんと教えたる」
気づくと、おちよ婆さんがそっと隣に立っていた。
桑田は笑ったまま、深く頭を下げた。
「……はい。必ず」
縁側の外では、西谷の初夏の風が、また笹を鳴らしていた。
