畦から戻る道すがら、渉はふと足を止めた。
鞄の内ポケットに、古い手帳がある。祖母の七回忌の片づけをしていたとき、形見の袱紗の間から出てきたものだ。
「あの」
振り向いた灯に、渉は手帳を差し出した。
「少し、見てもらえますか」
手帳の表紙は黒ずんで、角が丸くなっていた。灯はそっと受け取り、挟まっていた紙片を開いた。
鉛筆の走り書きだった。色褪せた罫線の上に、几帳面とも乱雑ともつかない字が並んでいる。
〈笹は三枚。根元をそろえ、左から回して、引かずに押さえる〉
ちまきの笹の結び方を、誰かが書き留めたものだった。
「祖母が残してたんです。西谷に来るたびに、地域の人と一緒に作っていたらしくて」
灯は黙ってその紙を見ていた。
しばらくして、小さく言った。
「うちのおばあちゃんも、同じ字で書いてた」
渉は聞き返さなかった。
同じ字、という意味が、すぐには飲み込めなかったのではない。飲み込んだからこそ、何も言えなかった。
「集落の女の人たちが、みんなで習ったから」
灯は紙を渉に返しながら続けた。
「教えてくれたのが一人だったら、書き写した字も似てくる」
大原野の山が、夕光を受けてゆるやかに赤みを帯びていた。棚田に映った空が、静かに色を変えていく。
渉の祖母と、灯の祖母が、同じ西谷の五月に並んで笹を手にしていた。そんな光景が、不意に浮かんだ。
確かめようのないことだ。それでも渉は、その想像がどこかあたたかいと思った。
灯が歩き出した。渉も並んで歩いた。
二人の間の距離は、行きと同じだった。ただ、その距離の感触が、少しだけ違っていた。
