翌朝、蓮が縁側に出ると、大地がすでに田んぼへ向かう背中を見せていた。
気づいたら、後をついていた。自分でも理由はよくわからなかった。ただ、あの背中を見送ったら、何か大切なものを取り逃がす気がした。
「ついてきたんか」
大地は振り返らずに言った。
「迷惑でしたか」
「別に」
それだけで、会話は終わった。
棚田が見えてきたとき、蓮は息を呑んだ。水を張ったばかりの田んぼが、朝の光を受けて静かに燃えていた。空が、山が、流れる雲の切れ端が、水面にそのままの姿で沈んでいた。
「ここには全部映る」
大地がぽつりと言った。
二人は畦道に腰をおろした。土の冷たさが、薄いデニムを通して伝わってくる。
「三年前に別れた人が、西谷のちまきを撮りに行けって言ってたんです」と蓮は言った。「その人、もういないんですけど」
大地はこちらを向かなかった。ただ「そうか」と言った。それが優しかった。
「兄が、東京に出てそのまま戻ってこない」
しばらくして、大地が言った。
「毎年ちまき送ってるけど、今年は電話も来んかった」
蓮は何も言わなかった。言葉を探すより、黙っているほうが正直だと思った。
水面が風にわずかに揺れた。映っていた空が、一瞬だけ崩れて、またもとに戻った。
克哉の声を、蓮はもう正確には思い出せなくなっていた。それが悲しいのか、あるいは少しだけ楽になった証拠なのか、この棚田の前では判断がつかなかった。
隣に、大地の肩があった。
触れるほどではない。でも、確かにそこにある。その距離が、今の蓮にはちょうどよかった。
