ホタルの灯る夜に 〜六月の西谷、あぜ道に宿る光〜 #15-7

夜の波豆川は、静かに光っていた。

ホタルだった。

岸辺の草むらから、あぜ道の縁から、水面の上を漂うように、淡い光が点いては消えた。ひとつが動けば、また別のひとつが応える。言葉を持たない、小さな呼びかけだった。

誠司は立ち止まり、息を詰めた。

こういう夜を、あいつは見ていたのか。

村瀬はここへ来て、この光を見て、それから手帳に一行書いた。「西谷のホタルを見に行く」と。誠司を誘う言葉を、まだ出せないまま。

水面をひとつの光がゆっくりと横切った。

——誠司さん、来てくれましたよ。

声が聞こえた気がした。穏やかな、村瀬の声だった。

誠司は目を閉じなかった。光を見続けた。

お前が見た景色を、ようやく俺も見た。遅くなってすまなかった、とは言わなかった。そういう言葉は、この場所には似合わなかった。

ただ、胸の奥の何かが、ゆっくりとほどけていく感じがした。

翌朝、庄平が縁側で待っていた。

誠司が頭を下げると、老人は「ええ顔になったな」と言った。

「そうですか」

「来年も来い。一緒にホタルを見ろ」

誠司は車のドアに手をかけたまま、しばらく黙った。

来年。

その二文字が、不思議なほど遠くなかった。

「……来ます」

答えたとき、誠司は笑っていた。自分でも気づかないくらい、ひっそりと。

庄平が目を細めた。

六月の朝日が、山際から差してきた。波豆川の水音が、谷あいに静かに響いていた。

西谷の里山は何も言わない。ただ、死者と生者を、老いた者と傷ついた者を、柔らかく包んで、そこにあり続けた。