宝塚駅の北口から阪急田園バスに乗ったのは、秋も深まった日曜の昼であった。車内は存外に空いていて、私は窓際の席に鞄を抱いて腰を下ろした。
翻訳という仕事を十年続けてきた。言葉を他の言葉に移し替えるうちに、自分の言葉がどこかへ落ちてしまったような気がする。それで、旧知の友人が貸してくれるという西谷の古い家へ、一週間ばかり逃げ出すことにしたのである。
バスは四十分ほどかけて山へ入った。市街地の騒ぎは遠のき、窓の外には刈り入れの済んだ棚田が段々に重なっている。稲架に掛けた稲束が、夕日を受けて金色に光っていた。
「ここで降ります」
運転手に告げて降りると、空気が冷たく澄んでいた。土と枯れ草の匂いがする。
空は高く、山の端が薄く紅葉していた。こういう景色を、私は長いあいだ画面越しにしか眺めていなかったのではないか、と思った。
友人の家へ向かう畦道の途中で、私は足を止めた。刈り跡ばかりの田の真ん中に、案山子が一本立っている。古びた麦わら帽子に、色の褪せた紺の半纏。もう稲は一本もないのに、誰が片づけるでもなく、そこに立っているのである。
「お前も、置いていかれたのか」
つい独り言が洩れた。案山子は答えず、ただ風に袖を揺らしていた。私は何となく可笑しくなって、帽子の庇に会釈をして、また歩き出した。