夏の川は、嘘をつかない 〜西谷の水辺に消えた記憶と、子どもたちの声〜 #22-1

車のエンジンを切ると、静寂が押し寄せてきた。

波豆川のせせらぎだけが、低く、確かに聞こえていた。

桐島蓮司は運転席のドアを開けながら、思わず動きを止めた。この音だ、と思った。二十年前に聞いていた、あの音だ。

祖父・一郎が晩年を過ごした古民家は、武田尾の集落から少し入った道沿いに建っていた。茅葺き屋根は今はトタンで覆われているが、縁側の木の色も、庭の石の並びも、記憶とほとんど変わっていなかった。

「……来てしまったな」

誰に言うでもなく、呟いた。

一周忌の法要は昨日、親族だけで済ませた。遺品整理は今日、蓮司一人でやると言い張った。理由は単純だ。誰かといると、気を遣わなければならない。今の自分には、それが億劫だった。

川岸へ続く石段を、草が半分覆っていた。

蓮司はそこに足を向けながら、ふと立ち止まった。脳裏に、一枚の写真のような光景が浮かんだ。小学三年生の夏。じいちゃんに手を引かれ、この川に素足を踏み入れた日のことだ。水の冷たさに声を上げると、祖父は笑って言った。

「川は嘘をつかんぞ。冷たいもんは冷たい、と正直に教えてくれる」

子どもの自分は、その意味がわからなかった。

今もわからない、と蓮司は思った。

それよりも今、浮かんでくるのは別の顔だった。三年前、教室の隅で膝を抱えていた少年。田中ユウタ。あの子をうまく救えなかった、という感覚は、今も胸の奥に刺さったままだ。

縁側に腰を下ろすと、古い木がぎしりと鳴いた。

スマートフォンが振動した。母からだろう、と画面を見ずにポケットへ押し込んだ。川の音だけを聞いていたかった。何も答えたくなかった。

夏の光が、波豆川の水面でゆっくりと揺れていた。