波豆川は、思っていたより青かった。
誠一はリュックを背負ったまま、川岸の石の上に立ち止まった。六年ぶり、いや、もっとか。数えるのをやめた。水の音だけが変わらなかった。
祖父の七回忌の段取りは、午前中のうちに寺で済ませた。位牌の前で手を合わせながら、誠一はずっと別のことを考えていた。この川のことを。
「じいさん、ここへ来るといつも地図を広げてたな」
誰に言うでもなく、呟いた。祖父は几帳面な人だった。川沿いを歩くのに、わざわざ二万五千分の一の地形図を持ち出した。誠一がその血を引いたのかどうか、今もわからない。
八月の西谷は静かだ。
国道から少し入っただけで、空気が変わる。波豆の集落を抜けると、田んぼの向こうに山が迫り、川音がいよいよ大きくなる。誠一はその音の中に、子どもの頃の夏を聞いた。
「あの……」
声がした。振り返ると、若い女性が地図を両手で広げ、困り顔でこちらを見ていた。折り畳まれた紙の地図だった。スマートフォンではなく、紙の、だ。
誠一はそれだけで、少し親近感を覚えた。
「この川、地図より全然でかくないですか」
女性は地図と川を交互に見比べながら、大まじめな顔で言った。
誠一は笑った。声に出して笑ったのが、いつぶりかわからなかった。
「縮尺の問題です」と言いかけて、やめた。そういうことじゃない、と自分でもわかった。
「……そうですね。でかいですよ、この川は」
女性は少し目を丸くして、それから、ふっと笑った。川の光が、その横顔に当たった。
誠一の胸の中で、何かが、静かに動いた。
