朝七時、縁側に座って缶コーヒーを飲んでいると、隣の家からミツさんが現れた。
「蓮司くん、今日は流しそうめんの日やで。行くよ」
断る間もなかった。
会場は波豆川沿いの農家の庭だった。青々とした竹を割いて作った樋が、斜めに長く組まれている。水とそうめんが流れるたびに、子どもたちが歓声を上げた。
蓮司は輪の外に立って、その光景をぼんやりと眺めていた。
ミツさんはすでに農家のおばちゃんと話し込んでいる。知り合いがいない蓮司は、冷えた麦茶を片手に、日陰で時間をやり過ごすつもりだった。
そのとき、気づいた。
竹樋を囲む子どもたちの輪から、少し離れたところに、一人だけ立っている男の子がいた。八歳くらいだろうか。箸を持ったまま、列に入れずにいる。誰かが押しのけているわけでもない。ただ、踏み出せないでいる。その「踏み出せなさ」が、蓮司には妙にはっきりと見えた。
声をかけようとした。
足が、動いた。
けれど、寸前で止まった。
——自分が何をしようとしているか、気づいてしまったから。
教師として動こうとしていた。あの教室での癖が、体に染み付いていた。子どもが困っていれば、近づいて、言葉をかけて、解決しようとする。でも今の自分に、そんな資格があるのか。三年前、田中ユウタの「踏み出せなさ」を、見抜けなかった自分に。
胸の奥が、鈍く痛んだ。
竹樋からそうめんが流れてくる。子どもたちが笑う。
少年は、まだそこに立っていた。
波豆川の水音が、遠く近く、揺れていた。
