棚田の畦を下りながら、誠一は余計なことを言ってしまった、という予感があった。
予感が確信に変わったのは、鳥居橋のあたりまで戻ってきたときだった。
「先生は、ここが好きですか」
川の音に消えてしまいそうな声で、聞いた。
陽子は少しの間、波豆川を見ていた。水面が夕暮れの残光を受けて、静かに光っていた。
「……まだわかりません」
正直な答えだった。それはわかった。わかったからこそ、誠一はそれ以上何も言えなかった。
「そうですか」
踵を返した。バス停まで、二人はほとんど黙って歩いた。
バスが来て、陽子は「お気をつけて」と言った。誠一は会釈だけ返して、乗り込んだ。
窓から川が見えた。もう暗くなりかけていた。
またやってしまった、と思った。
恋愛が長続きしないのは、こういうことが重なるからだ、と誠一は薄々知っている。余計なことを言う、というのは正確ではなかった。本当は、肝心なことを言わずに、周辺ばかり突いてしまうのだ。
好きですか、ではなかった。
聞くべきは、もっと別のことだった。
たとえば、明日も川へ来ますか、とか。
バスが揺れた。田んぼの匂いがした。
誠一は額をガラスにそっとつけた。外は暗くなっていたが、波豆川はまだそこを流れているはずだった。ちゃんと、流れているはずだった。
聞かなかった言葉は、川のどこかに沈んでいた。
