栗の落ちる音がした 〜西谷・秋のバス、一日の記憶〜 #28-5

時刻表を確認したのは、神社を出たすぐあとだった。

次のバスまで、あと十二分。

停留所まで歩けば間に合う。そう計算した。しかし岸田は、足を速めなかった。

律子が「波豆川の土手、少し歩きますか」と言ったから、という理由にしておいた。自分でも、それが理由のすべてではないと気づいていた。

土手の草は黄色く枯れ始めていた。川面は光を含んで、冷たい銀色に揺れていた。律子が昔の西谷の話をした。田んぼの数が減ったこと、若い人が戻らないこと、それでもここで暮らすことを選んだこと。

岸田は聞きながら、手帳を取り出しそうになる指を、ポケットの中でこらえた。

気づいたときには、バスは行っていた。

「次は夕方ですよ」と律子は言い、少し笑った。困った顔ではなかった。「農家カフェ、寄りますか」

集落の奥、古い民家を改装した小さな店だった。西谷産の栗おこわと、鉄瓶で沸かした番茶。窓の外、棚田の稲刈り跡が夕光を受けて金色に染まっていた。

岸田は無意識にメモ帳を出した。

「今日は記者じゃないでしょう」

律子の声は、責めてもいなかった。ただ、静かだった。

岸田はメモ帳をポケットに押し込んだ。何も言えなかった。

栗おこわを一口食べた。甘さではなく、土の味がした。

窓の外を、柿の葉が一枚、風もないのに落ちていった。

律子は湯呑みを両手で包むように持ち、山のほうを見ていた。その横顔に、岸田はまた、一瞬だけ目をやった。

今日は記者じゃない。

その言葉が、胸の中でゆっくりと、沈んでいった。