田辺のじいさんが「ちょっと付き合え」と言ったのは、夕方の四時を過ぎたころだった。
「どこへ、ですか」
「歩くだけや」
それだけ言って、じいさんはすたすたと外へ出た。
桑田は慌てて革靴を履き、スーツの上着のポケットにICレコーダーを滑り込ませた。取材は逃さない。段取り人間の本能だった。
棚田沿いの農道は、細かった。
西谷の山裾に連なる田は、夕日を受けてうっすらと金色に光っていた。畦道の脇には笹が揺れ、風が通るたびに、さらさらと音がした。桑田は革靴の踵が土に沈むたびに顔をしかめながら、それでも歩いた。
じいさんは、しばらく黙っていた。
「このちまきはな」
突然、じいさんが口を開いた。
「ばあさんが死んだ年も、息子が出て行った年も、ずっと作り続けた」
桑田は何も言えなかった。
「ばあさんが死んで、最初の夏や。笹を刈りに行く気も起きんかった。それでも手が動いてな。ばあさんが教えてくれた通りに、笹を選んで、もち米を量って」
じいさんはそこで一度、足を止めた。
田の向こうに、西谷の山並みが静かに並んでいた。
「食べる人間がおらんでも、作るんか、と自分でも思たわ」
風が吹いて、笹がまた鳴った。
桑田のポケットの中で、指先がICレコーダーのボタンに触れた。
止めていた。
いつ止めたのか、自分でも分からなかった。
「……じいさん」
「なんや」
「それ、企画書には書けません」
じいさんは桑田の顔を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「当たり前やろ、そんなもん」
帰り道、桑田の革靴は泥だらけだった。気にならなかった。
